
PEOPLE
ライフステージの
変化を活かした
自由なWork
入江 麻悠子プロフィール
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入江 麻悠子
組織開発Division
事業企画ユニット
マネジャー
2008年立命館大学教育人間学専攻卒業後、新卒で入社。関西・東海エリアでコンサルタントとして顧客の変革に尽力し、数多くの象徴的なプロジェクトに携わる。新事業の立ち上げや、女性初のカンパニー長を経験し、社内表彰の受賞歴も多数。出産後も時短勤務の傍ら、新組織の立ち上げや人材育成の仕組み構築など新たな挑戦を続けている。
思わず仲間とハイタッチしたくなるようなドラマチックな瞬間には、信じられる仲間との挑戦が不可欠
「誰かの挑戦を後押しする安心のインフラを構築したい」
それが10代の頃から持っていた想いです。きっかけは高校時代の海外留学でした。世間では「失敗してもいい」「挑戦しよう」と言われますが、誰しも失敗は怖いですよね(笑)。海外で過ごす中で、“大きな挑戦をするためには、気合いだけではなく成功する未来を信じ、安心して挑むためのインフラのような存在が必要だ”と実感しました。裏を返せば、“信頼できる仲間の存在”や“自分への自信”が、挑戦に向かう気持ちを後押ししてくれる。そんな挑戦を重ねた先には、思わず仲間とハイタッチしたくなるようなドラマチックな瞬間も待っているだろう、と。だったら自分はそんな安心インフラを増やす存在になりたいと思うようになりました。実は、教師を目指していましたが、リンクアンドモチベーションが保有する『モチベーションエンジニアリング』という技術を知り世界が広がりました。「この技術があれば、本当に世の中を変えられるかもしれない!」そう確信し、友人たちが皆教師になる中で、私はモチベーションエンジニアになる道を選びました。
入社後配属された西日本エリアは当時まだ立ち上げ期。組織内の役割もはっきり区分けされておらず、新規開拓の営業から既存クライアントのコンサルティング、事務手続きから備品発注まで何でもやるという状態でした。しかし若手の頃に様々な仕事を経験し、幅広いスキルを蓄えたことは、のちの私が仕事で「自由」を獲得するための基盤になってくれました。その後担当エリアは東海まで拡がり、メーカーやインフラ、サービス業を中心に、採用や育成、風土変革のプロジェクトに携わるようになります。
特に印象に残っているのはとあるグローバル医薬品メーカーのプロジェクトです。出会ったときは衝撃でした。「どうせ・・・」「しょせん・・・」というネガティブな言葉が飛び交い、仲間のことも会社のことも信じられず、そこで働く自分にも自信を持てない社員で溢れていました。3年かけて、採用・育成・風土を抜本的に変革する大型プロジェクトを立ち上げ、少しずつ社員の顔つきも変わってきました。社内で飛び交う言葉も「きっと・・・」「せっかくだし・・・」とポジティブなものに変わり、まさに挑戦する風土がひとりひとりの行動を変え、そして、最終的には業界1位の成長率を達成しました。お客様の役員室に呼ばれその知らせを受けた際、皆で一緒にハイタッチで喜びあったことは、今でも忘れられません。同じくらい思い出すのは、プロジェクトを推進する中で、社員のご家族や、採用活動で関わった学生さんの親御さんから「夫が楽しそうに働くようになりました」「子供が本気で成長と向き合うようになりました」と感謝のお手紙をもらったことです。目の前の人だけでなくその周りの方々の人生にも影響を与えることが出来ると実感し、「人や組織の可能性」を信じる気持ちが一層強くなりました。


ライフイベントを重ねることで仕事の密度はむしろ高まっている
私は2児のママです。2度の出産、そして育児休暇を経験しています。当社では、部署を小さな会社と見立て、事業責任者を1人の経営者とみなして全ての事業・組織運営を任せる「カンパニー制」を導入しています。私が第一子を妊娠したのは、立ち上げたばかりのクラウド領域の事業を推進する「カンパニー長」に就任した頃でした。「お腹のお子さんのためにも、もっと自分たちを信じて任せてください!」と言ってくれる仲間に支えられながら出産を迎えられた自分は本当に幸せだと思います。その後第二子を授かり、現在は2人の子どもを育て、週4日の時短勤務ながら、全社育成組織のローンチや新商品開発のプロジェクト推進等、充実した仕事を続けています。
私がなぜ、ライフイベントが続く中でも挑戦し続けられているのかというと、これまで自分が積み上げてきた経験と、会社の風土によるところが大きいと思います。当社では、自分自身をひとつの株式会社として捉える「アイカンパニー経営」という考え方があります。その中で、個々が持つ経験やスキルは「自社商品」であり、築いてきた仲間は「資産」だと表現できます。私自身、若手時代から様々な経験をさせてもらい、多くの「商品」と「資産」を持つことができました。自社商品を磨けば磨くほど、柔軟な働き方をしながら、意味のあふれる楽しい仕事ができると実感しています。また、世の中の多くの企業から、“制度が整っているだけでは意味がない”という悩みを耳にする機会が多々あります。確かに、「子どもが体調不良なのでお休みください」と伝えた際に「嫌な顔をされる」のか、「心配し励まされる」のか、同じ制度があったとしても、働き方は変わってきますよね。当社では、「One for All. All for one」「Pay for Performance」「変えられるものに注力する」といった価値観が経営陣から新人まで浸透しており、労働時間の長さが評価の物差しになっておらず、その上でお互いの可能性を最大化する協働の姿勢があります。それが当たり前の「風土」になっている環境にいるからこそ、今の働き方ができていると思っています。
会社も、自分も、変わることを
前向きに捉えて進んできた
もちろん、キャリアを諦めるべきか迷った瞬間もあります。それは新組織のカンパニー長になるタイミングで第一子の妊娠が発覚した時です。しかし相談した上司の答えは「そんなことで役職を降ろしたり、揺らいだりする会社ではないから安心して欲しい」というもの。結果的に、カンパニー長補佐という全く新しい役割を作ってサポートしていただきました。前例にとらわれずに、変えられるものは変える、という会社の価値観がここに表れていると思います。当時と比較にならない程、当社も進化しています。事業拡大に伴い、「ひとりひとりが主役の経営」の実現に向けて、ポジションやミッションの幅も広がりましたし、リモートとリアルのハイブリッドワークも可能です。ライフイベントはどんな瞬間に訪れるかわかりませんが、自分が誇れる商品を持っていれば、少し休んだくらいでその価値は陳腐化するものではないので怖れることはありませんし、会社も状況に合わせて変わることに前向きです。お陰で私はこれまで以上に濃い日々をこの会社で過ごしている実感があります。
ライフステージが変わったことがきっかけで、個人の想いにも変化がありました。すべての組織が、何かしらの病気を患っています。以前は「その病を治す医者になりたい」と思っていましたが、今は、「世の中のすべての組織を救うための医者の数を増やしたい。そのための育成や配置の仕組みを創りたい」そう思うようになりました。学生時代に抱いていた想いは今、我が子が成長した20年後をよりよい未来にしたいという願いも重なり、“信じられる未来を共に実現する仲間を増やす”というビジョンに進化しています。私たち自身の成長を通したさらなる社会変革の実現を私の使命と考え、これからも挑み続けます。

